人生見切り発車

永遠にみつからない自分探しの旅(仮)

過去の見切り発車 海外放浪 1人旅 116 ラオス編 《自分との対話》

素朴なラオスのひとたち

 

 

ワットプーからホテルに帰ろうと

立ち上がり、僕とホセは歩き出す。

 

道すがら、僕はパクセーに行った後、

どうしようか迷っているとホセに言った。

空港が閉鎖されているというタイの情勢は

不安定かもしれないが、そういう今でこそ、

普段見れないタイの顔がみえるんではないか、

と。

ホセは、北ラオスを回った後、タイに行き、

そのあと飛行機でミャンマー、そして

インドまで行くという。

ということは、まだまだ少なくとも

数カ月は旅を続けるということだろう。

 

不意に、僕はホセに聞いてみた。

「スペインに帰りたくなることはないのかい」

ホセは、少し自嘲気味に笑って、

「そりゃあ、あるさ。こんな何にもないところ

で、ハンモックに揺られながら、遠くで騒いで

いる外国人たちの声を聞きながら、オレは

いったい、こんなところで何をしているんだ

ろうってね」

 

それを聞いて、僕は、

そうか、、、

としか言えなかった。

スペインの陽気のように明るい彼も、

やはり、僕と同じようなことを考えながら

旅をしていたのだ。

彼も、三十代中盤なのだから、

もう子供ではない。

 

ホセは言う。

「この旅は、ただきれいなものを観に外国に

行っているだけじゃないんだ。地域の人と

ふれあうこと、そして自分との対話なんだ」

 

自分への対話。。。

そうか、そうなんだ。

それは結局、自分探しの旅につながる。

 

日本を発つ前、僕は友達にこう言った。

この旅は、自分探しの旅じゃない。

行きたいところがある、見たいものがある

からいくんだ、海外に行けば何かみつかる、

自分が変わるだなんて、思えるのは、

せいぜい二十代前半くらいまでなもんだ、と。

 

だが、ほんとうに、そうだろうか。

もちろん、たった数ヶ月で、自分が劇的に

変わるとも、やりたいものが見つかるとも、

思ってなんかいない。

だが、僕は自分との対話の中で、

何か決着のようなものをつけたいと思っている。

 

そして無意識の中で、これからの人生に

指針となるもの、いうならば何か「核」

となるもの、なれるものを探しているのでは

ないか。。。

 

帰り道、道行く子供たちに「サバディー」と

繰り返しながらホセと自転車をこぐ。

ホセのスピードは、歩いたほうが早いのでは

ないかと思うくらい、ゆっくりだ。

行きはバイクかと思うほどのスピードだった

のに、極端な奴だなあ、と僕は苦笑する。

 

後ろから、ホセが僕の名前を呼ぶ。

振り返ると、ワットプーへと続く一直線の

道の先に、空が雲に混じって、

真っ赤に燃えている。

 

僕は思わず、息をのむ。

 

夕日は、日本でも

こんなに赤かっただろうか。。。

 

だが、いいことばかりではなかった。

民家の明かりだけを頼りに一直線の

道を帰るのは、星空が見えてさぞ

綺麗だろう、と思っていたが、

甘かった。

 

日が沈みきると、顔にハエか何かの

虫が小雨のようにパチパチと当たり

続ける。

口を開くと口に、鼻、耳の穴にも

入ってきて、僕は下を向きながら、

寡黙な自転車競技選手のように

一心不乱に自転車をこぎ続けた。。。

 

 

過去の見切り発車 海外放浪 1人旅 115 ラオス編 《ワットプーで僕がみたもの》

 

 

ワットプーは、一本の道を挟んで、

二つの建築物がある、

屋根のないレンガ造りの遺跡だった。

 

朽ち果てた遺跡、といったフレーズが

ぴったりあてはまるな、と僕は思った。

 

僕は、半ば崩れたレンガを足場にして、

遺跡の片側の壁にのぼり、中を上から

覗いた。

 

太陽を背にして、雑草が青々と茂った

四角い空間に、僕の人影がうつる。

 

千年も前に、ここに何千人もの人が

訪れ、祈りを捧げたのだ。。。

 

そう思うと、思わず身震いを感じるよう

な何かが、僕の体を突き抜けていくのを

感じた。

 

二つの遺跡の真ん中を突き抜けるように

はしる道の先に、ケシの木だろうか、

花を咲かせた樹木がお互いを支えあう

ように、寄り添うように立っている。

 

さらに先へと進む階段は、上に向かって

急な勾配となっていた。

 

わけもなく、天国への階段、といった

フレーズが頭に浮かぶ。

 

あるいは、ここは、この地に住む多くの

人にとっての、天国への階段であったの

かもしれない。

 

階段をのぼりきると、また別の遺跡があり、

仏像が中央に鎮座していた。

 

だが、僕が感動したのは、多くの人が祈りを

捧げてきたであろう仏像ではなく、

階段をのぼりきった後に振り返ったときに

目に飛び込んできた景色だった。

 

視線の先には、朽ち果てた遺跡、そして

その中央をシルクロードのように道が

まっすぐ突き抜けている。

奥には湖が、その碧さ、静謐さをたたえ、

どこか暖かみを感じさせる。

 

遠目には、今まで自転車で通ってきた

道、そして街並みが、メコン川が見える。

 

太陽の光が、遺跡の半分を覆いかぶさって

いる。

あと、1時間もすれば沈んでしまう太陽だ。

 

アンコールワットで充分に遺跡はみてきた

つもりだったし、こんな片田舎の遺跡など、

行かなくてもいいかなくらいの気持ちで

立ち寄ったこのワットプーに、僕は

いいようのない感動をおぼえていた。

 

僕とホセは、腰をおろし、

その光景にのまれながら、

ただぼんやりと日が傾いていくのを、

みつめていた。。。

 

 

 

 

 

 

 

過去の見切り発車 海外放浪 1人旅 114 ラオス編 《ラオス国境でのトラブル 後日譚》

いざ! ワットプーへ

 

自転車を借りて、ホセとでこぼこだらけの

アスファルトを疾走する。

いや、正確には疾走しているのは

ホセだけで、とんでもないスピードだ。

 

彼はTシャツを脱ぎ、スペインの猛牛の

ごとく突進していく。

 

かんべんしてくれ。。。と全身に疲労

たまりまくっている僕は、泣き言を

いいたくなる。

僕は二日前、Donkong という島を自転車で

走ったが、後で聞いたところによると

島一周で40kmあるらしく、

道に迷ったり、道草したりしていた僕は

50km以上は走ったことになるのだ。

 

8kmの道を30分くらいかけて、

ワットプーの入り口に辿り着いた。

 

入場料を払い、遺跡がある方向に歩きながら

ホセが言った。

「そういえば、ビザがなくてラオス

入れなかった二人組がいただろ、僕は

Dondet でたまたま彼らに会ったんだ」

 

じゃあ、ビザをとれたんだね、と僕は

返す。

 

彼らは確かギリシャ人で、ラオスに入国

するにはビザが必要とかで、足止めを

くらったはずだ。

日本国の最強パスポートを保持してた

僕は、ノービザで入国できた。

 

過去の関連記事でございます ↓

jinsei-mikiri-hassya.hatenablog.com

 

 

jinsei-mikiri-hassya.hatenablog.com

 

 

 

「Stung Sten という町に戻って、そこ

でビザがとれたらしい」

「それはよかった」

一緒のバスに乗っているのに、

ビザなしで通れたことに若干の

うしろめたさを感じていた僕は、

素直に喜んだ。

 

ホセが、その時のことを思い出したのか、

若干真面目な顔で、

「それにしても、ラオス国境で2ドル

払わされたのはむかついたね。

オレは汚職は嫌いなんだ」

といって眉間にしわを寄せた。

ホセは確か、この2ドルで国境検査官と

おおもめにもめたはずだ。

 

僕はそのホセのセリフを聞いて、

ホセに、そして一緒にいた外国人達の

全員に、ぶつけたかったことを言った。

「でもさあ、彼らが間違っていたとは

限らないんじゃないか。休日に国境を

開けることに対し、特別料金を徴収する

のも、2ドルといちいち掲示してないの

も、ただこの国の文化がそうさせている

のかもしれないじゃないか。

確かに、僕にも彼らが汚職していたのか

どうか、2ドルが正当だったのかは、

わからない。だけど、そういったことは

何もかも明記してはっきりしてなきゃ

いけない、自分たちは絶対に正しい、

って頭ごなしに決めつける

なんて、白人の習慣にすぎないん

じゃないか」

 

僕は、ホセが何か反論してくるものと

みがまえた。

なんせ、ホセはこの国境検査官と30分

以上もめていて、そうとう嫌な目にあった

はずだからだ。

 

しかし彼は一瞬考えるようなそぶりをみせて、

あっさりと、

「確かに、君のいうことは正しいのかも

しれない。確かに」

と言い、頷いた。

 

この反応に、僕は正直、驚いた。

 

ただ単にくだらない口論をしたくなかった

のかもしれないが、その素直な反応は、

6歳も年下のアジアの若造に対するもの

としては、驚きに値した。

 

あんだけ嫌な目にあった話をして、

話した相手が共感することもなく、

逆に「いや、間違っているのはお前の

ほうだ」

なんて言われてたら、普通の人間なら

キレるだろう。

 

でも、僕は言わずにはいられなかった。

この旅をしていて、

欧米人や、日本人たちが、自分たちの

スタンダードで、東南アジアの人間に

対し、こういうところがおかしい!

と目を吊り上げて、

さも自分は正しい!と叫んでいる

ようなヒトをたくさんみてきて、

正直僕はうんざりしていたのだ。

 

でも、ホセは、怒ることなく、

自分とは、全く正反対の僕の意見に

たいし、聞き流すことなく、

「確かにそうかもしれないね」

と返してくれた。

 

それって、すごいことだ、と僕は思う。

 

僕はホセという人間が、またひとつ

好きになった。

 

 

 

 

 

過去の見切り発車 海外放浪 1人旅 113 ラオス編 《ホセ再び》

 


コンポンサクというところにバスで向かう。

途中、トイレ休憩でぼんやりと物売り達を

眺めていると、見たような顔がある。

 

ホセだった。彼はやはり、Dondet に3泊

したらしい。

これからどこにいくんだ、と聞くと、

隣のバスで僕と同じ行先のコンポンサク

行くという。

僕は偶然の再開に気持ちが弾んだ。

 

コンポンサクには、バスからフェリーに

乗り換えて、到着した。

ここも島なので、バスではたどり着けない。

 

フェリーを降りて、ホテルを探そうと

僕が歩き出すと、長身の男が、後をついて

くる。ホセだ。

 

「あれ、どこかでみたことある顔だなあ」

と僕がホセに言うと、彼はにんまりと笑みを

浮かべて、

「Are you sure?」

と返してきた。

 

道すがら、適当なゲストハウスを見つけると、

ホセがロンリープラネットをバッグから

取り出し、確かこのゲストハウスは

ロンリーに載っていたんだ、といいだす。

 

僕が旅すがら出会った外国人旅行者は、

敬虔なクリスチャンのバイブルのように

みな、ロンリープラネットを持っていて、

それ以外のガイドブックを持っている

外人にでくわしたことはない。

 

ホセはDondet でも、ホテルを見つける

たびに、ここは、ロンリーに載っていた、

と本を出して同じように確かめていた。

 

僕は僕で、アンコールワットでガイドの

コピー本を買ったにもかかわらず、

何故か読む気にもなれず、世界遺産

みどころの場所が示してあるラオス全体

の地図しか活用してなかった。

 

ゲストハウスに着いたのが午後3時15分で

ゲストハウスで聞いたところによると、

近くの見どころのワットプーは、

午後5時に閉まるという。

 

どれくらいの距離か聞いてみると、8km先

らしい。それなら、自転車を借りていけない

ことはない。

 

僕は、みどころらしきものがワットプー以外

なさそうなこの場所に2泊するつもりは

なかったので、次の目的地である

パクセー行きのバスは、明日何時にでるのか

聞いてみた。

すると、朝9時が最終という。

 

ずいぶん早い最終だな。。。

 

と、いうことは、今からワットプーに

行かねば、ここに2泊するはめに

なりそうだ。

 

僕は早速ワットプーにこれから行く、

とホセに言うと、彼は迷った様子だった

が、パクセー行きバスが朝しかないこと

を知ると、オレも行く、と言った。

 

宿は1人30,000キップだったが、

25000にならないか、と宿の娘

らしき人にホセが交渉し始める。

 

50円値引きになるかどうかなんて、

僕はぶっちゃけどうでもよかったが、

僕が隣に立っている主人らしき人に、

2人で2部屋借りるから、

で1人25000でどう?と聞くと

あっさりOKしてくれた。

 

出かける前に、ホセはゲストハウスの

主人に聞いた。

このあたりで、ホームステイができる

場所があるって、ロンリープラネット

書いてあるんだけど、知ってるか、と。

 

ホセは、ホームステイはこのラオス

どうしてもやりたいことのひとつらしい。

 

だが、主人はあまり英語が通じないこと

もあってか、あまり知らない様子で、

民家なら、そこら中にあるよ、

といって笑うだけだった。

 

なるほど、別にガイドブックや旅行会社

に頼らなくても、民家に頼んで泊めて

もらえば、ホームステイには、なるな。

 

常識にはとらわれちゃ、だめなんだ、

きっと。

 

 

過去の見切り発車 海外放浪 1人旅 112 ラオス編 《南アフリカのご婦人》

 

 

翌朝、通りを歩いていると、

昨日の日帰りツアーで一緒だった

南アフリカからきているという白人夫婦と

ばったり会う。

 

いや、ばったり、、、というか、

一本道しかない小さな島なのだから、

出会わない方が難しいのだが。

 

挨拶もほどほどに、旦那さんの方が、

荷物の準備をしなければならないから

これで、という。

いつ出るんだ、と聞いてみると、

8時という。

彼らを見送った後、時計を見ると

7時57分だった。

 

いや。。。間に合うの?

 

そういえば、昨日のツアーで滝を

みにいったときも、この夫婦は集合時間

に大幅に遅れて戻ってきていた。

時間にルーズなのだろうか。

 

僕がホテルの前にあるテーブル椅子で

日記を書いていると、また彼らが通り

すぎる。

僕がハロー、と声をかけると、奥さんの方が

立ち止まり、世間話をはじめ、ついには

隣のテーブルに腰をかけ、従業員と何か

話を始めた。

 

さすがに旦那が戻ってきて、もう行く時間だ、

間に合わないぞ、とあせった様子で

言うと、奥さんは言った。

あら、たったいま朝食を注文したばかりなの。

 

何人待たせてるのかは知らないが、恐ろしい

マイペースさに僕はちょっとびびる。

 

さらに奥さんは、すました顔で、

こう付け加えた。

 

本当は、パンケーキを注文したかったけど、

早くできるフルーツにしたんだから。

 

僕は思わず苦笑する。

待たされている人からすればいい迷惑なの

だろうが、その王侯のようなふるまいが、

時間に流されることのない

スタイルのように思えてきて、なぜか

不愉快なものには感じられなかった。

 

そういえば、南アフリカの白人は、

アパルトヘイトのなごりか何かで、

黒人が白人にかしづくような文化が、

まだ残っている、というどこかで

聞いた話を僕は思い出していた。

 

あるいは、この婦人のそういった態度は、

決して嫌味なのではなく、

生活習慣から来たごくごく当たり前

なものなのかもしれない。

 

とかく、僕たち日本人は、時間に厳しすぎる

のかもしれない。

時間に厳しいということは、時間に

縛られている、ということに

ならないだろうか。

 

婦人は立ち去り際に、そういえば、

名前を聞いていなかったわね、と僕に

笑顔を見せる。

皇太子か何かが、一般人に見せるような、

優しく、気品のある笑みだった。

 

僕が自分の名前を告げると、婦人は

短い間だったけど、ありがとう、

と僕に告げた。

 

立ち去っていく婦人をみながら、

やっぱり高貴な出身のヒトなのだろうか、

と僕は考える。

 

再び日記に目を落としながら、

僕はまた一人きりになった、と思う。

 

これから誰に出会い、誰と別れていくの

だろうか、などと、

とりとめもなく考えた。

 

過去の見切り発車 海外放浪 1人旅 111 ラオス編 《千円ツアーと笹》

 

ツアーで見かけた風景


メコン川周辺10ドル日帰りツアーの途中、

二つの滝を見に行った。

滝というからには、日本でいう華厳の滝

ようなものを僕は想像していて、それなら

日本で腐るほど見てきているし、

正直あまり期待していなかった。

 

それにくわえて、長期にわたる

旅は時折、人を無感動に

する性質を持っているから、

毎日、毎週のように絶景を見て回ると、

いつのまにか耐性みたいなものができて

きて、ああ、こんなものか、、、

と思うことの方が多くなる。

 

どちらかというと、毎日仕事に追われて

いる合間に、ちょっとした景色を見に

行ったほうが、人は感動するものなのだ。

 

ところがそんな僕の想像は、いいほうに

裏切られた。

二つの滝は、高低差はそれほどない

ものの、急流といったほうがふさわしく

いくつかの川の流れがひとつとなり、

岩にぶち当たり、水飛沫をあげ、

ひとつとなり、爆音を伴いながら

なにもかもを飲み込むように流れていく。

 

まるで、いつも穏やかなメコン川の、

怒りに似た感情がほとばしっている

かのように感じ、僕はメコン川の、

壮大な威厳のようなものに触れた

気がして、しばらく呆けたように

それを見続けていた。


 

その夜は、ホテルの近くの屋台で、

鶏肉を焼いているところがあり、

いくつか注文してみた。

 

つみれ、のようなもの。

手羽先、のようなもの。

肉団子、のようなもの。

ソーセージのようなもの。

(どれも確信がもてない 笑)

 

ライスはないのか、と聞いてみるが

全く理解してもらえない。

相手が話せるのは、ワンサウザンド、

ツーサウザンド、といった具合に、

お金の単位だけなのだ。

笹にくるまり、紐で縛った食べ物が

あり、きっと米に違いないと検討を

つけ、小さいから5つ注文し、

宿のレストランでビールを頼み、

食べてみることに。

 

笹の中身は。。。

笹。

また笹?

その笹の中身は。。。

笹。

NEXT??

 

そして結局、中身はなく、

全部が笹なのかと疑問がよぎり

始めたころ、中から人差し指の

第一関節くらいの大きさの

生ハム、のようなものがでてきた。

 

なま。。。はむ???

 

鳥インフルエンザ、というフレーズ

が頭をよぎる。

いやいや、鳥インフルは人には

かかんないんじゃなかったっけ?

いやいや。。。

 

というかそれ以前に、僕の目の前の

テーブルには、肉しかない。

(あとビール)

これをみたら肉食獣だって、ちょっと

遠慮したくなるかもしれない。

 

そして、お約束通り、翌日は

腹をくだしまくった。

 

 

さすがにこれを喰らうガッツはなかった

過去の見切り発車 海外放浪 1人旅 110 ラオス編 《メコン川の流れに身をよせて》

 

メコン川

 

翌日、ボートツアーに参加することにした。

8:30~17:00の1日ツアーで、10ドル。

1000円くらい。

日本でいえば、十倍くらいかかるかも

しれない。

 

昨日、顔見知りとなった南アフリカから

きたという白人夫婦も参加していて、

旦那さんの方は、僕が今後は北に

向かって旅するつもりだと知るや否や、

子供のように青い瞳を輝かせながら、

この町についたらこのホテルに泊まれ、

とかここに寄れ、だとか説明しながら、

地図や写真をみせてくれる。

この初老の旦那は、相当、他人との

会話に飢えているのか、

流水に屹立する樹木を指し、あれは

乾季のときは、どういう状態で~

などとガイドみたいなことも話し出す。

 

奥さんの方は、いつものことね、と

でも思っているのか、我関せずと

いった感じで、メコン川の緩やかな

水の流れを視線を泳がしている。

 

僕となんかじゃなくて、奥さんと

会話をしなくていいのか、コイツ、

と僕は内心苦笑する。

微笑ましい夫婦だな、と思った。

 

やがて話疲れたのか、話題が尽きたのか

旦那さんが静かになると、僕はメコン川

流れに目をよせる。

 

巨大な湖のように穏やかなメコン川は、

途方もなく大きくて、悠久という言葉が

そのまま当てはまりそうなくらい、

ゆるぎない。

 

そういえば、僕はベトナム下流から

(途中寄り道したものの)

メコン川に沿って、カンボジア

ラオスとのぼってきたことに

いまさらながら気づく。

 

考えてみれば、旅をしてほぼ一カ月が

経過し、12月になっていた。

 

旅を始めた初日、中国の宿で、

どうやってベトナムに向かうんだとか、

言葉の通じない国の電車、しかも

各駅停車で旅なんかできるのか、

などと考えていたあの夜まで、

僕の記憶はさかのぼっていく。

もうあの夜が、何年も前の出来事の

ようにさえ思える。

 

自分はあとどれくらい旅を続けるのか

、続けることができるのか。。。

どこまでいくのか、どこに向かうのか。

 

タイの空港は、デモで封鎖されていると

ニュースで見たが、途中で見知った

旅人の中には陸路なら問題ないという

人もいたし、ヨーロッパ主要政府は

危険だからタイに渡航するな、と

渡航勧告がでているという話も聞いた。

 

正直な話をしてみれば、

空路が断絶されてしまっている国に、

陸路で行く、という支離滅裂な行動に、

えもしれぬ、抗いがたい魅力を

感じてしまっている自分自身がいた。

 

だが、どれくらい危険なのか。

もともとタイという国に行ったことが

なかったため、情勢不安なタイ、と

いわれてもピンとこない。

 

天涯孤独な身なら、中東にだっていける

のかもしれないが、独身とはいえ、

そういうわけにもいかない。。。

 

遠くから、手を振ってくる子供たちが

いる。ラオスに来てから、もう何度も

目にする光景だ。彼らは、舟が見えなく

なるまで、手を振ってくれる。

あるいは、このあたりでは外国人に

サバディーと叫んで手を振るのが、

子供たちの遊びみたいになっているの

かもしれない。

 

そんな子供たちを見るたびに、

心がどこか癒されるのは、

きっと僕だけではないだろう。

 

途中、Dondetをボートがとおりすぎる

とき、僕が泊っていたバンガローに目を

やると、従業員とホセがしゃべっている

のが見えた。

僕が、彼の名前を叫びながら手をふると、

驚いたようにホセも両手で手を振り返し

てくれる。

ホセの姿が見えなくなり、時計を見ると

午前十時を回っていた。

Dondetを出る船は、毎日朝八時だけと

聞いていたから、彼はあの何もない所に

少なくとも三泊するということなの

だろう。

また、彼と会うことはあるのだろうか、

と川の流れに視線を戻しながら、

僕はぼんやりと考えた。