人生見切り発車

永遠にみつからない自分探しの旅(仮)

最終出社日

 

昨年12月に辞意の希望を伝えて、なんやかんやで

退職が予定より1カ月延びて、今日が最終出社日

となった。

(在職は4月中旬迄)

 

普通の人なら、辞めます!と言ってから

4カ月も会社にいるなんて、なかなかないだろう。

 

なぜならば、次の会社も大体が不足人員があるから

求人しているわけで、そんな悠長に長期間

待ってはくれないのが普通だからだ。

 

だが、僕には次の会社なるものが、存在しない。

少なくとも、今のところは。

 

しょーもない話ではあるが、体面もあるし、

次が決まっていません!となるといちいち説明が

面倒だし、そもそも次が決まってないとなると

なかなか辞めさせてもらえないという

事態にもおちいりそうなので、

知り合いの会社に雇ってもらう、

という言い訳をいろんな人に繰り返してきた。

 

有給が30日近く余っていたので、3月上旬から

消化スタートしていたが、

4月上旬にある会社主催のスポーツイベントには、

5日間連続で出勤した。

 

外国の選手数人が来日していて、そのアテンド

だった。

 

これがもう、とにかく大変。

飛行機の日本到着が夜中で、ホテルまで送迎した

のが日付が変わる少し前。

そこから、焼き鳥が食いたいなどと

言い出したので、勝手に行けともいえず、

ついていき、初日から午前様。

 

それから五日間、朝から運転手やらなんやらで、

夜は夜で、1次会2次会3次会と毎日続く。

しかも、彼らはなんと英語ができず、

飲み会中は何をしゃべっているのかもわからず、

かといってつまらない顔はできない。

自分は殆どただの財布ではないか?

と、いぶかしぶ毎日。

 

それでも一応、こっちの大変さは理解はして

くれていたようで、最終日チームをホテルに届けて

電車で帰っている途中、わざわざお礼の電話も

くれたし、帰国後、無事帰国した、と連絡も

くれたのはくれたのだが。。。

とにかく大変だった。

(最終日は23時に会社に車を返して、そのあと帰宅)

 

そんなカオスな最後の仕事を終えたのが月曜日で、

水曜日に出社し、清算と来週の振返り資料の作成。

(振り返り発表をする自分はその頃には有給中なのだが)

 

そして今日金曜日が最終出社でお菓子をもって

社内を挨拶回り。

 

仲が良かったひとは、ラインの交換なんかして、

また飲みに行きましょう、と言葉を交わす。

でも僕は知っている。

恐らくもう、お互いにラインをすることもないし、

会うことはないだろう、と。

これはもう、旅先で連絡先を教えあうような

もので、連絡先を交換している時点では

お互いまた必ず会おう!と思うものだが

現実にはその時はお互い感傷に酔っているだけで、

実際にまた会ったり、ずっと連絡を取り合うことなどは

ほとんどないのだ。

 

でも、今日ここで、つながりが全部消えてしまうのは、

やっぱりさみしい。だから、連絡しようと思えば

できる、そういう関係にお互いをおけば、

ちょっとだけ寂しさも紛らわせられる。

だから、結局、僕らは連絡先を交換する。

 

それにしても、まあ色々あったけれども、

あれ、なんで自分は辞めるんだっけ?

とたまに思ってしまうほど、いい人たちに

囲まれていた。

(もちろん嫌な人も、理不尽なことも

それなりにあったけれど)

 

感謝すべきところはすべき。

だが、自分はもう、この会社にはいられない。

この会社で年を取って、老人に向かっていく

ことが、どうしてもできないのだ。

 

退職という選択が、間違っているのかどうか、

今はわからないけれど、

間違っていなかった、と思えるように

頑張っていかねば、

ならない、と思う。

 

それにしても会社の携帯(スマホ)が

ないだけで、これだけ解放感があるとは、

自分でも意外だった。

あの小さな端末に、それなりに僕は、

自分で思う以上に、

囚われていたんだなあ。。。

 

 

 

退職願

先週月曜日に、部長に退職したい旨を伝えた。

 

あまり驚いた様子はなく、ひょっとして

話がある、といわれた時点で察していた

のかもしれない。

 

その翌日、今度は副社長に伝えた。

既に部長から話がいっている?ものと

思っていたが、副社長は初耳だった様子。

 

また同じ話をするの?

と自分の都合で辞めるにもかかわらず、

正直ちょっとげんなりした。

 

何をいわれるやら、

罵詈雑言も覚悟していたが、

案外あっさりしたもので、

「お前には苦労をかけたなあ」

とまでいわれてしまう。

 

色々あったけれど、

人間本質的には

みんないいひとなんだなあ、

と思わずしんみりしてしまう。

 

もちろん、嫌な人もけっこう

いたし、人間関係には常に悩まされて

きたけれども、

親切な人も、仲がいいひとも、

たくさんいる。

辞めるということは、

その人たちとのつながりが

ほぼ完全に断ち切られる、

ということだ。

 

「辞めても、また会おう」

なんてたぶん言葉を交わしながら、

僕は会社を去るのだろうけれど、

恐らく実際に再会する人なんか、

いないんじゃないだろうか。

(僕自身がめんどくさがりという

部分もだいぶ影響しているが)

 

とりあえず一週間考えて、

それでも気持ちが変わらないなら

仕方がない、といわれ、

わかりました、と返事をした。

 

気持なんか、簡単に変わるくらいなら

そもそもこんな話を持ち出すわけも

ないのだが、それもお互いわかった

うえでの、儀礼的なものなのかも

しれない。

 

来週火曜日が、ちょうど一週間後。

その日に僕は、退職願を持参する。

 

それにしても、無地のB5が入るA4長

封筒って、ありそうでない。

地元のコンビニ2件、本屋2件、

さらに百均までいったけど

とにかくない。

 

仕方がないから、快速で隣駅の

大型本屋まで行く始末。

 

そういえば、5年前に退職願を

出すときも、同じ本屋にきたなあ。

 

いよいよ、今の会社を辞めるのが、

本格化してきている。

 

今後の人生、正直不安しかない。

来年の今頃の自分が、全く想像できない。

 

でも、

今は余計なことを考えずに、

プラス思考でいけるとこまで、

いこう。

 

retire

 

マジで退職する1日前

 

retire


ボーナスを、12月2日にもらった。

思ったよりもよかった。

 

零細企業なため、通常は

ボーナスは夏冬それぞれ1カ月分。

 

それが今回は2カ月分くらいあったみたいだ。

 

僕の部署は前期に予算を大幅に超えたけれど、

それが原因ではないだろう。

課の長でありながら、予算達成率がボーナスに

影響したことなどないからだ。

 

恐らく、去年から変わっている新社長の、

社員全員に対する、優しさなのだと思う。

 

明日、辞意を上司に伝える身としては、

実質ボーナス翌日に、

正直申し訳ない気もしなくもない。

ある意味では、ボーナス支給が金曜

だったから、まだマシかもしれない。

月曜支給で、火曜退職相談よりは。

気持ちの問題で。

あまり変わらないか?

 

僕の課は、社員は僕だけの

弱小課だが、会社全体の売り上げの

5%以上はある。

逆に僕1人だっただけに、引継ぎも大変

だろう。

 

だけど、そもそも退職する時点で、

迷惑はかけるに違いないし、

退職に最高のタイミングなんて、

あるわけがない。

 

会社には世話になったが、

会社に何かあったとき、

会社は僕が死ぬまで面倒を

みてくれるわけではないのだ。

 

従業員は、会社に勤めさせて

いただいているわけだし、

会社は、従業員に勤めていただいて

いるものだ、と僕は思う。

 

給料という対価で、契約を結んでいる、

50:50のパートナーなんだ。

 

こんなことで嫌気がさしている自分も

いい加減、我慢弱いなあと

他人ごとのように思うけれど、

日本のサラリーマンて、僕が働いている

限りでは、本当に色々と面倒くさい。

 

誰を立てれば誰が立たない、それの繰り返し。

毎日毎日何も決まらない会議を、

報告書を読み上げるだけの会議を繰り返す。

効率とか、生産性とかと、一番遠いところ

にある。

 

例えていうならば、

わかりやすいのが、マスク。

野外のマスクなんて、普通に不要だと思う

が、みんな、他人の顔を伺いながら、

外したくてもつけている。

サラリーマンの世界って、

しなくてもいいマスクを、

家出てから帰るまで、ずっとしている、

そんな感じなのだ。

 

「政府が、マスクを外してもいいこと

を大々的に宣言してほしい」

なんてことをいう

同僚もいたが、僕からすると、

「おいおい、そんなことまで

政府にお願いしなきゃ、自分の行動も

自分で決められないのか?」

と思う。

 

このまま会社にいたって、

死ぬほど忙しいわけでもないだろうし、

普通に海外にも出張できて、

それなりに楽しいときもあるだろうし、

ひとりものだからそれなりに

贅沢もできるのだろう。

 

でも、僕ももう40を超えている。

このまま50,60と年をとり、

「人生、こんなもんだ」と

自分に言い聞かせながら、

ゆっくりと防腐剤が入った箱の中で、

腐っていくのが、どうしても耐えられない。

 

とりあえず、今なら職務経歴書

履歴書も、コンプリートできそう

(今後、作成日以外に更新していく必要がない)

だから、更新しておこう。

 

さすがに今後、どんな仕事とはいえ、

全く仕事につかないなんて

ことは、ないだろうから。。。

 

明日、上司には早朝か、朝会が終わった後、

朝会の後の会議が終わった後とかの、

話せるタイミングがあるときに伝えるように

しよう。

 

さすがに、いまから12月退社はないだろう

から、最短でも1月退社。

今後を考えると、25日くらいある有給を

フルに使っての、3月退社が望ましい。

けどこればっかりは、相手あってのこと

だから、1月に出てけなら、有給もろくに

残ってしまうが、それも仕方ない

気がする。

 

しかし、上司や役員の反応がどんな感じか。

怒られるか、あっさり認めるか。。。

どうなることやら。。。

 

マジで退職する12日前

いざ退職するとなって、しかも次の仕事も決まっていない。

じゃあFIREできるほどの貯蓄があるというわけでもない。

贅沢をしなければ、2年くらいは無職で過ごせる程度。

 

じゃあ、どうするつもりなのか。

とりあえずは、FXで生活資金を稼ぐつもりだが、

年単位ではプラスになったことがないうえに、

今年と去年で500万くらい失っている。

 

仲のいい友人は、仕事を辞めないほうがいい、という。

無理もない。僕と同じ境遇の人間がいたら、

僕でも同じ言葉をかけるだろう。

 

しかし、僕もすでに40を過ぎている。

独身な僕は、養うべき家族がいるわけでもない。

(親の介護はどうなるかわからないが。。。)

 

このままだらだらとサラリーマンを勤め上げる

くらいなら。。。

と思う。

 

勝算は、ないわけではない。

僕を信じてくれる人間が、

僕しかいなくても、

とりあえず、僕は僕がやりたいように、

僕の人生を歩んでいく。

 

retire

 

 

マジで退職する14日前

retire

 

12月5日に、退職の意志を会社に告げようと思っている。

だから厳密には、退職日はたぶん2月か3月になり、

それまでは引継ぎと有給消化となるだろう。

 

2月か3月というのは、希望的観測も入っており、

実際はどうなるかはわからない。

次の仕事が決まっているわけでもないので、

どちらの月でもかまわないが、

もっと早くやめろ、といわれるかもしれない。

 

ただ過去の退職者をみていると、たぶん

2月くらいになるのかな、と考えている。

 

2月の場合は、有給消化をフルにすれば、

正月明けくらいから休みとなるだろう。

だから3月の可能性もある。

 

なぜ、12月5日に退職の意志を告げるのか、

というと、ボーナス支給日が12月2日だから。

 

せこいと思われるかもしれないが、

前職では11月末に退職の意志を告げたら、

ほぼ全社員に支給されたボーナスでの

特別追加金50万円~が、僕だけ5万円に

なったという苦い経験があるからだ。

会社からしてみれば、辞めていく人間に。。。

というところだろうが、ボーナス査定期間は

そもそも4月~9月であるゆえ、

また大企業のグループ会社であることから、

僕もそこまであからさまなことを

してくるとは思っていなかったのだ。

だから、せこいと思われようが、

ボーナスが出た直後に辞める意志を

告げることにした次第である。

 

なぜ、辞めるのか。

ひとことでいうと、馬鹿らしくなったから。

もともと、僕は人間関係に非常にストレスを

感じる性格で、いつも連絡をとりあっている

友人など、一人しかいない。

連絡すれば返事が来る程度の友人は

それなりにいるが、そもそも人づきあいが

苦手なのだ。

他人の何気ない一言にいつも傷つき、

いつまでも頭をぐるぐると回ってしまう。

 

サラリーマンって、本当に理不尽と自分を

どう折り合いをつけていくか、

そこに尽きると思う。

 

特に僕の会社は、歴史だけは長い

同族オーナー会社で、昔ながらの考え方

で凝り固まっている。

 

報告書を読み上げるだけの会議が

月に何日もあり、会議ではいつも何も決まらず、

会議をするための会議に成り下がっている。

 

上役の機嫌を取ることだけは

非常にたけている上司達は、

部下の意見は、「くちごたえ」扱いで

聞く耳をもたない。

それでいて、会議で発言がないことに

いつも苦言を呈している始末だ。

 

そして、

責任や役割の所在が曖昧すぎて、

声を大にして「自分の仕事ではない」

と否定しない人間には、「なんでもやる課」のように

仕事が毎日降りかかってくる。

 

評価基準が曖昧で、評価表を兼ねていると思われる

シートが、何種類もあって、それがどう

活用されているのかもわからない。

驚くことに半期ごとの

上司との面談すらなしに、昇進するものと

しないものにわけられていく。

 

死ぬほど忙しいか、といわれると、

自分の場合は、海外営業がメインの特殊な

課のため、そうでもない。

(その代わり国内営業担当は、月に数日くらいの休みだ)

コロナ禍があけたら、どうなるかはわからないが。

 

だから、我慢を続ければ、働くことだって、

できないわけではない。

 

でも、僕は辞める。

 

ゆっくりと、

自分という人間が、

腐っていくのを、

このまま看過していくのは、

もう嫌なんだ。

 

過去の見切り発車 海外放浪 1人旅 109 ラオス編 《サバディー!!》

Dong Kong はここだ、といわれ、

何もないところで船を降ろされた。

 

近辺には民家が数軒あり、

遠くには神社と思しきものがある。

 

適当に歩いていると、売店なのか

民家なのか、よくわからない道が続く。

 

時折、すれ違う子供から

「サバディー」(こんにちわ)

と声をかけられ、僕も笑顔で、

サバディーと返した。

 

そういえばさっき、舟で一緒だった

日本人の若者が、ラオスの子供は

みんなサバディーと挨拶してくれる

から嬉しい、といっていた。

 

そういえばカンボジアでは、車や

舟にのっていて、遠くから

手をふってくれることはあっても、

道を歩いていて見知らぬ人に

挨拶をされることはなかった。

 

1人であてもなく旅していると、

この何気ない挨拶が、

以外にジンと心にしみいるものだ

ったりする。

 

さらに10分くらいあるくと、メコン川

辿り着いた。

ここがDong Kongか。。。

川沿いに高床式の住居と売店がちらほら

あるくらいは、本当に何もない。

 

宿泊できるところはあるんだろうか。。。?

 

白人の初老の男がいたので、ここが

Dong Kongか?と聞いてみると、

自分もついたばかりでさっぱりだ、

と彼はいう。

 

とりあえずホテルを探すか。。。と

歩き出そうとすると、

先ほどの初老の男性が、ボートに

のらないか、と聞いてくる。

 

なぜボート?と思ったが、

どうやら、Dong Kongは対岸という

ことが判明したようだ。

 

いわれるがままにボートにのりこむと、

若いラオス人が、初老の男性(と奥さん)

と僕に、ツアーに参加しないか、と

聞いてくる。

80,000 キップといわれ、10ドルか。。。

と僕がつぶやいていると、

南アフリカ出身らしい白人初老夫婦は、

「アフリカランドでいくらだ?」

と真面目な顔をして聞いていた。

 

両替商でもあるまいし、

そんなんわかるんかいな??

 

ボートでDong Kongに辿り着くと、

ホテルが7、8件あり、そのほかに

洗濯屋や旅行社があった。

 

 気持ち栄えているかな

くらいで、本当に何もない。

 

とりあえず適当なホテル(というか小屋)

に泊まることにした。

ここでは、宿を借りる、といったら

カギを渡されるだけで、

パスポートのチェックどころか

記帳すらしない。

宿で自転車を1ドルで借りるが、

こちらはカギすらない。

のどかな島というものは、こんなもの

なのだろうか。

 

ボロボロの自転車にまたがり、

島をこぎまわる。

 

本当に何もない島だ。

立派な角をした牛、高床式の家、

子供、たんぼ。

ときどきニワトリ、ヤシの実、

学校、そしてつきぬけるような

青い空。

 

どこもあまりに似すぎていて、

ここはさっき走った道ではないか、

と何度も考えてしまう。

 

サバディー!

サバディー!

とあちこちから声をかけられる。

 

 

のどかな風景

高床式の民家の窓から、

すれ違う道から、

茂みの中から。。。

 

どこから挨拶されているのか、

探してしまうことすらある。

 

サバディー!!

 

この無邪気で、素朴な挨拶が、

くすみがちな僕の心を、

どれだけ癒してくれたことだろう。

 

いつからか、僕の方から

サバディー!

と声をかけるようになる。

日本ではありえない光景だ。

サバディー!と笑顔で返される

ことに、

ヒトの暖かさを感じ、

僕は無上の喜びに浸っていた。

 

 

 

無邪気なこどもたち

 

過去の見切り発車 海外放浪 1人旅 108 ラオス編 《日本人の若者》

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野良牛?!

 

 

 

 

Dondet から乗ってきたボートを

降り、軽トラックを改造しただけの

車の荷台に乗ると、

日本人の若い男がいた。

 

聞くと、歩いて2時間もあれば

1周してしまうだろうDondet

で、驚いたことに彼は

9泊したという。

 

何をしてたの、と聞くと、

子供たちと遊んでいた、と彼は

笑顔でいう。

 

ああ、こういうのが旅人なんだな、

と僕は思った。

彼は大卒で、映像ドキュメントの

製作会社に勤めていて、1年間の

休みをもらって旅をしているという。

 

1年も休みをもらえるなんて、

うらやましいなあ、

と僕が率直な感想をいうと、

彼は、

それも口約束みたいなものだし、

帰国して戻っても最初は正社員

扱いではない、といった。

 

そういいながら、人懐っこい

笑顔を浮かべている彼をみて、

これが若さということなのかも

しれない、と僕は思った。

若ければ若いほど、人生に

やり直しはきくからだ。

だが、それもただの僕の思い込み

で、実際はそうとも限らない

のかもしれない。

学生ならともかく、大学を出た

ような年であれば、いきなり

海外旅行に何年も行けば、

若くてもなかなか思ったような

仕事には就けないだろう。

 

それにきっと、彼みたいなヒトは

いくつになって旅をしても、

帰国後の心配などしないのかも

しれない。

そして僕みたいな人間は、

若かろうがさらに年を取ろうが、

未来のことを常に気にしすぎながら

生きていくのかもしれない。

貧乏性みたいなものだろうか。

 

彼はモンゴルのグランバートルや、

さらにその奥地まで旅したことも

あるらしい。

観光客は彼一人で、言葉も通じず

難儀したとか。

 

言葉も通じない国は面白いかも

しれないが、大変だろうと僕が

いうと、人からもらった指さし

会話帳でなんとかすごしたらしい。

 

僕は僕で、はっきりした目的地も

期間も決めていないんだ、というと、

別れたばかりのスペイン人のホセと

同様に、それが一番いい、と

彼は笑顔でいった。

 

それは、

1日が過ぎるたびに、

旅に残された日数を指折り数えなく

てすむからだろうか。。。