人生見切り発車

永遠にみつからない自分探しの旅(仮)

過去の見切り発車 海外放浪 1人旅 112 ラオス編 《南アフリカのご婦人》

 

 

翌朝、通りを歩いていると、

昨日の日帰りツアーで一緒だった

南アフリカからきているという白人夫婦と

ばったり会う。

 

いや、ばったり、、、というか、

一本道しかない小さな島なのだから、

出会わない方が難しいのだが。

 

挨拶もほどほどに、旦那さんの方が、

荷物の準備をしなければならないから

これで、という。

いつ出るんだ、と聞いてみると、

8時という。

彼らを見送った後、時計を見ると

7時57分だった。

 

いや。。。間に合うの?

 

そういえば、昨日のツアーで滝を

みにいったときも、この夫婦は集合時間

に大幅に遅れて戻ってきていた。

時間にルーズなのだろうか。

 

僕がホテルの前にあるテーブル椅子で

日記を書いていると、また彼らが通り

すぎる。

僕がハロー、と声をかけると、奥さんの方が

立ち止まり、世間話をはじめ、ついには

隣のテーブルに腰をかけ、従業員と何か

話を始めた。

 

さすがに旦那が戻ってきて、もう行く時間だ、

間に合わないぞ、とあせった様子で

言うと、奥さんは言った。

あら、たったいま朝食を注文したばかりなの。

 

何人待たせてるのかは知らないが、恐ろしい

マイペースさに僕はちょっとびびる。

 

さらに奥さんは、すました顔で、

こう付け加えた。

 

本当は、パンケーキを注文したかったけど、

早くできるフルーツにしたんだから。

 

僕は思わず苦笑する。

待たされている人からすればいい迷惑なの

だろうが、その王侯のようなふるまいが、

時間に流されることのない

スタイルのように思えてきて、なぜか

不愉快なものには感じられなかった。

 

そういえば、南アフリカの白人は、

アパルトヘイトのなごりか何かで、

黒人が白人にかしづくような文化が、

まだ残っている、というどこかで

聞いた話を僕は思い出していた。

 

あるいは、この婦人のそういった態度は、

決して嫌味なのではなく、

生活習慣から来たごくごく当たり前

なものなのかもしれない。

 

とかく、僕たち日本人は、時間に厳しすぎる

のかもしれない。

時間に厳しいということは、時間に

縛られている、ということに

ならないだろうか。

 

婦人は立ち去り際に、そういえば、

名前を聞いていなかったわね、と僕に

笑顔を見せる。

皇太子か何かが、一般人に見せるような、

優しく、気品のある笑みだった。

 

僕が自分の名前を告げると、婦人は

短い間だったけど、ありがとう、

と僕に告げた。

 

立ち去っていく婦人をみながら、

やっぱり高貴な出身のヒトなのだろうか、

と僕は考える。

 

再び日記に目を落としながら、

僕はまた一人きりになった、と思う。

 

これから誰に出会い、誰と別れていくの

だろうか、などと、

とりとめもなく考えた。