人生見切り発車

永遠にみつからない自分探しの旅(仮)

過去の見切り発車 海外放浪 1人旅 123 タイ編 《ドルが使えない国》

 

 

 

タイのUBONというバスターミナルに

着いた。

さあ、どうしよう、と考える。

バスターミナルの職員らしき

おばさんに、地図はないか、と聞くと、

壁に貼ってある、とややそっけなく

言われてしまう。

 

ウロウロしていると、バイタクの

運ちゃんが、70バーツで連れていく

という。

歩いて行ってもいいけれど、まあいいか

と思い、ドルでもいいか、と聞くと、

困ったような笑みを浮かべて、

ノーノ―と断られる。

 

これには正直驚いた。

なにしろ、旅を始めてから

いままで渡り歩いてきた国は、

中国以外はドルがそのまま

使えたからだ。

 

食堂でも、使えないようだ。

うさん臭さ満載のおっちゃんが、

両替するよ、といってくれるが

レートが悪すぎて交換する気になれない。

 

とりあえず、腹が痛くなってきたので

トイレでも行くか、と

トイレに向かうと、5バーツと書いてある。

 

何!

 

トイレにも行けないだと。。。

 

 

バイタクが両替所に連れて行ってくれる、

というので、彼のバイクに乗った。

しかし、連れて行ってもらった

ショッピングセンターの両替所では

半端ないくらい人が並んでいて、

これは30分では、きかなそうだ。

 

バイタクは待ってくれるつもりらしく、

所在なげに人のよさそうな、でも

気の弱そうな顔をして入口のところ

につっ立っている。

 

手持ちの金がないので、もう帰って

いいよともいえなかったので、

使いたくはなかったが手持ちの

クレジットカードで手近の

ATMでおろした。

 

僕が、街の中心に連れて行ってくれ、

(英語でいうと、

Take me to the center of city)

と言った言葉をどう理解したのか、

バイタクに何もない広い公園で

おろされる。

 

街の中心。。。ほんとかよ?!

だが、もし仮に、

そう問いただしても、

そうだ!間違いない!

と言い返されても、反論ができないから

あきらめた。

 

まあ、いいや、とりあえず

現金を手に入れるためにいろいろ

つきあわせたから、チップをあげない

とな。。。そう思って財布を取り出すと、

100バーツ、といわれる。

 

もともとの言い値は70バーツだが、

手間賃込み、という意味だろう。

しかも、その100バーツという

いいかたが、

できたら100バーツをもらえると

嬉しいんだけど。。。

という感じだったので、悪い気はせず、

そのまま100バーツを渡すと、

嬉しそうに立ち去って行った。

 

ふと周りを見渡すと、屋台があり、

トウモロコシのような黄色い物体

を串刺しにして売っている。

 

いくらだ、と聞くと、5バーツ、

とくる。15円くらいか。。。

げきやす。

 

謎の黄色い物体を手に入れて、

公園のベンチで食べていると、

何故だかわからないが、無性に

楽しくなってくる。

 

いつもそうだ。

 

国境を超えると、テンションが上がる。

 

国境という人が隔てた敷地をまたぐ

だけで、人も、街も、建物も、

みんな一変するからだ。

 

そうして、僕のタイ旅は始まった。

 

 

 

 

 

 

 

過去の見切り発車 海外放浪 1人旅 122 タイ編 《陸路での国境越え》

 

 

ラオスからタイへの国境へと向かう

朝八時半のバスに乗り込むと、隣には

眼鏡をかけた若い女性が乗っていた。

英語の本を読んでいる様子の彼女は、

白人ではなく、黄色人種だった。

中国人だろうか。いやいや、アメリカ人

だって普通にありうるけど。。。

 

隣の女性に興味を持ちつつも、

僕は国境を越えられるかどうかが

心配だった。

タイの原則としては、入国時に

出国用の航空券を所持していることが

原則らしい。

 

昨日、ネットで確認したついでに

調べてみたが、日本人はカンボジア入国では

ビザが必要だが、アライバルビザでなんとか

なる。

ラオスはそもそも日本人にはビザは不要

だが、アライバルビザを発行していない

ため、ビザが必要なギリシャなどの国籍は、

ビザをどこかの街でとって戻ってくる

必要があるようだ。

 

ラオス国境では、土日は10,000キープを

払うこと、と貼り紙がしてあった。

やはり、僕は正しかったんだ。

貼り紙をしていないだけで、国境職員を

責め立てた、白人集団はやはり間違って

いたんだ、と、ひとり自己満足する。

 

↓ 参考記事

 

jinsei-mikiri-hassya.hatenablog.com

 

 

 

だがなぜか、今回は、

僕はパスポートにスタンプ

をおされるだけで、何も言われなかった

ので払うつもりだった10000キープを

財布に戻した。

 

いよいよ、タイのイミグレだ。

病院のような白を基調とした3階建ての

建物に、鳥をイメージしているのか

翼のような三角形の屋根が、両側に

張り出している。

 

ここで、運命が決まるな、、、

とおおげさめいたことを僕は考える。

たかが国境だろう、と思うかもしれないが、

ラオス国境で追い返されたギリシャ人を

見ていた僕は、楽に通過できるのかどうか、

だいぶ疑心暗鬼だった。

 

だめならだめで仕方ない、そうなったら

ラオスをさらに北上してビエンチャン

行ってビザを取ればいい、

そう思っていたが、いざイミグレを前に

すると、やっぱりどうしても通過したく

なる。

 

ビザの欄を空欄にしたまま差し出すと、

国境検査官に何か言われる。

だめなのか、香港発の航空券ならある

けど、、、と考えたが、

ただ、アライバルカードを記入しろ、

といわれただけだった。

 

荷物検査では、リュックサックの中身も

みず、検査機にもかけず、

なぜかボディチェックだけはされて、

あっけなさすぎるほど簡単に通れた。

 

そもそも、荷物のほとんどが入っている

バックパックは、まだバスに乗ったまま

で、既に国境を越えてタイ側で待っている

はずだ。

陸の国境というのは、島国のそれ

と違ってずいぶん適当なんだな。。。

 

まあ国境を全部フェンスでふさいでいる

わけでもあるまいし、密輸なんか

やろうと思えばいくらでもできるから

なのかもしれないが。。。

 

イミグレを無事通過し、先に国境を

通過していたバスに再び乗り込むと、

さっきまで英語の本を読んでいた隣の

女性が英語で、

日本人ですか、

と話しかけてきた。

 

僕がそうだけど、君は?と聞くと、

タイ人だという。

 

なるほど、タイ人か。英語の本を

読んでいる東南アジア人は、

この旅では初めて見た気がする。

 

彼女はラオスのパクセーのゴム農園

で働いているらしく、名刺を

見せてくれた。

 

僕が1人で旅をしていることを

知ると、驚いたことに彼女は、

私の電話番号を教えるから、

困ったことがあったら電話して

ください、と言ってくれる。

 

話し始めてまだ5分の見知らぬ

相手なのに。。。

 

タイ人はフレンドリーと聞いていた

僕は、うれしくなり、色々と雑談した。

 

僕が今日泊まるホテルを何も決めてない

し、どこにあるかもわからない、

というと、彼女は姉に聞いてみると、

携帯で電話をしそうになる。

 

いやいいんだ、自分で探すから、

と僕がいうと、そうそれならいいけど、

と彼女はちょっと不思議そうに

微笑んだ。

 

タイ語で、

こんにちわ、ありがとう、ハウマッチ。。。

はなんていうの、と聞いてみると、

驚くほどラオス語と似ている。

 

タイに入国したばかりなのに、

こんなに親切な人と出会えただけで、

何かタイの旅が楽しくなりそうな気が

して、僕はうれしくなった。

 

彼女は、なんでひとりで旅をするの、

と僕に聞いた。

僕は、この年齢で、この長期間、

一緒に旅ができる友達がいないからだ、

とこたえる。

でも、そういいながら、

本当は、なぜ、一人で旅をしているのか、

しつづけているのか、と僕は考える。

 

じゃあ、長期間仕事を休める友達が

いたとして、僕は一緒に旅に出ていた

だろうか。

あるいは、旅の途中で知り合った人と、

そのあとの旅をずっと一緒に続けたい

だろうか。

 

いずれにしろ、

きっと、僕はやはり、一人で旅を

することを、選んでいただろう。

 

では、なんでだろう。。。

なぜ、一人旅にこだわるのか。

 

ホントのところは、

自分自身でもわかっていないのでは

ないか、と僕は考えていた。。。

 

 

 

過去の見切り発車 海外放浪 1人旅 121 ラオス編 《メコン川のほとり》

パクセーのマーケット帰り、購入して

半時間も経たないうちに

すでに半壊しているリュックを背負いながら、

僕はメコン川のほとりを歩く。

 

遠くに、橋が見える。

ベルギー人にもらった地図によれば、

タイの国境へと続く橋のようだ。

 

近づいてよく見ると、カンボジア

コンポンチャムで見た、一昔前に

日本人が建てたという友好橋に

よく似ている。

 

時計は既に午後4時半を回っていたが、

日はまだ高く、太陽がメコン川に反射して

まぶしい。

 

そういえば、多少寄り道を繰り返してきた

にしろ、自分はベトナムからメコン川

沿って旅をしてきたのだ、と思い出す。

 

そういえば、この景色も今まで何百回と

旅の途中で見てきた光景と、どこか

重なっている気がする。

 

ふと、理想と現実、という言葉が脳裏に

浮かぶ。

最近、また読み返している沢木耕太郎

深夜特急のせいかもしれない。

 

僕にとって、現実とは、間違いなく日本

にある。となると、今のこの生活は、

理想、いや逃避といえるかもしれない。

 

何でもないような、何度も見てきたような

片田舎のマーケットをさほど飽きずに

見て回れるのは、自分自身が、逃避の

世界にいるからではないだろうか。。。

 

旅が楽しいのではなくて、現実、日本という

現実からわずかでも遠ざかって逃避している

ことが楽しいのではないか、あるいは、

楽しもうと自分に言い聞かせているのでは

ないだろうか。

 

いや、そんなことはない。

僕は旅を、

純粋に、

楽しんでいるだけだ。。。

 

だが自分に言い聞かせたそのセリフは、

どこか白々しく、僕の心に沈んでいった。

 

過去の見切り発車 海外放浪 1人旅 120 ラオス編 《買ったリュックが音速で壊れる》

 

パクセーの街をあてどなく歩いていると、

マーケットにぶつかった。

 

野菜、米、時計のベルト?まで

なんでここで?!と思えるものまで

雑多に売っている。

 

ラオスではなかなか英語は通じないが、

露店商はだいたい、数字だけは知っている。

5サウザンド、10サウザンド、といった

具合に、値段交渉する最低限の言葉が

あれば、外国人相手に多少なりとも

商売ができることを知っているのだろう。

 

ビールを飲みながらうろうろしていると、

街に着いたとき一緒だったベルギー人が

見知らぬ外人と飯を食っている。

彼は案外さみしがり屋なのだろうか、

憎めないやつだ。

 

僕が、あっちにマーケットがあったよ、

と話しかけると、いやいやこっちには

もっと大きなマーケットがあると

親切にも教えてくれ、さらにレストランに

置いてあった地図もくれた。

 

どうせやることもないので、行ってみよう。

教えてもらった場所のマーケットは、

なるほど、かなり巨大だった。

 

米を量り売りしている店が、20~30軒

くらい、軒を連ねている。

米ごときでそんなに店を並べて、

客はいったい何を基準に店を選ぶのだろう。。。

不思議すぎる。

 

マーケットの中心には屋根のある一角があり、

Tシャツ、貴金属、カバン、ねじ、釘、石鹸、

洗濯セット、供え物だろうか札のお金を

たくさん貼り付けている花など、

なんでもありなくらい色々と売っている。

 

その一角を囲うように、魚や肉、果物、米、

香辛料が路上で販売されていた。

 

僕は小さな、街歩き用のリュックを探していた。

オーストラリアで4年前に買ったものが、

ベトナムで生地が破れたため、ベトナム

ハノイで10ドルで新しいものを買ったのだが

これがひどい代物だった。

 

買った時点で、黒いプラスチックの留め金の

一部が破損していたし、仕方なく違う個所の

プラスチックを外して交換したが、数日も

経たぬうちにそれも壊れた(欠損)

 

とにかく、プラスチックの強度が

あっっっっとう的にない。

しかもチャックもファスナーから外れて

戻らないわ、チャック自体が壊れるわで

5か所あったチャックで無事なのは

1か所だけというありさま。

まだ、購入して一カ月くらいですよ、奥様。

 

パクセーのマーケットではカバン屋はたくさん

あったが、あちこちに点在しているので

見て回るのはかなりの労力だった。

 

NIKEのカバンがあり、これにしようか

考えていると、NIKONと書いたリュックが

目の前にぶら下がっているのにきづく。

 

ニコンは、リュック作らないよな。。。?

 

そういえば、一昔前だが中国の大きな露店で、

SONYと書いてあるエコバックみたいなものが

売っていたのも見たことがある。

いい根性してるなあ。。。

 

まあ、中国じゃあ、

「お兄さん、ロレックスあるよ~

ほとんど本物だよー」

なんて平気で話しかけてくるからな。

ほとんどって、偽物であることを隠そうとも

しないんかい。。。

 

さらにカバン探しにウロウロしていると、

布地をたくさん売っている店が多いのに

きづく。

 

荷物になるのでいままで買わなかったが、

ラオスに来て買わないのはもったいない

気もして、8ドルを5ドルにまけさせて、

テーブルクロスになりそうなシルク

(らしい)の布を4枚も買ってしまった。

 

カバンは、よさそうなものが1軒だけ

見つかったが、60ドルと途方もなく高い。

いや、途方もなくもないのだが、

ラオスの通貨キープでいうと、

480,000にもなる。

他のカバンが45,000,50,000

とかなのに、ちょっとびびる。

 

しかたなく、JINQUEというまともそうな

ブランドのリュックを6ドルで購入し

(チャックの動きに一抹の不安はあったが)

ホテルに戻ろうと僕は歩き出した。

 

しかし、事件は起きる。

マーケットから歩いて10分もたたない

うちに、買ったばかりのリュックの片側が

肩から外れた。

なにごとか、と思ってみてみると、

リュックの下側から、プラスチックの

留め金を通すところがほどけている。

 

なんだ、壊れたんじゃないのか、と

安心して歩き出すと、しばらくもしないうちに

いや、これ異常にほどけやすくね!?

ときづく。

 

ひっぱると、簡単に両側とも外れてしまう。

仕方ねえな、と思い、結び目をつくって

ほどけないようにし、再び歩き出すと

また片側が外れる。こんどは、

どうやら結び目の負荷に耐えられなかった

らしく、留め金のプラスチックが割れている。

 

耐久性、ゼロだな。。。

いやむしろマイナスといいたいくらい。

 

肩を落としながら、オレは何を一人で

Mr. ビーンのコメディみたいなことをしている

んだろう、と、腹立つのも忘れてつい

くっくっく

と笑ってしまう。

周りから見たら、精神がついに破綻したと

思われるだろう。

 

日本だったら、どこでリュックを買おうが、

こんなに早くは壊れない。

日本の常識が、アジアでは通じないことを

ふたたび痛感した。

 

仕方なく、無事なわっかにまた結び目を

作って、僕はまた歩き始めた。

せめて、ホテルまではこれ以上

壊れるなよ、と祈りながら。。。

 

 

過去の見切り発車 海外放浪 1人旅 119 ラオス編 《選択肢》

 

 

6ドルの宿にチェックインした後、

ホテルに来る途中でみかけた

ツアー会社に寄ってみる。

 

この近くに、どんな見どころがあるのか

知るためだ。

だが、ツアーの多くはワットプーか、

フォーサウザンドアイランドツアーで、

両方とも既に行ってしまっていた。

 

他にも西の方に滝のツアーとゴム農園

ツアーがあるようだったが、行ったこと

のあるという旅人に聞いたら、たいした

ことはなかったらしい。

 

やはり、タイに行くか。

僕の気持ちは固まった。

 

確かにラオスは今までで一番よかった

国だし、北ラオスに未練がないわけではない

が、そうするとタイから遠ざかってしまう。

また、北は寒いと聞いていたから、

ベトナムで捨ててしまったセーター類を

買いなおすのも面倒だったし、

荷物も増えてしまう。

 

なにより、サンダルで旅をすることに、

いつからか心地よさを感じていたのも

事実だ。

 

また、あと1カ月くらいで旅を終える

のならできるだけ多くの国を回りたい。

 

もうひとつ、タイに行く理由を加えると、

この先タイに行かないルートを選んで

北上すると、Svarachet という街に着くの

だが、そこはゴーストタウンらしく、

ツアーで知り合ったスイス人はダーツを

投げられ、太ももを少しけがをした

らしい。

 

ダーツの的になってみたい気もしなくは

ないが、ラオスという国をいい国という

印象で終えたい、という気持ちもあった

のだ。

 

タイの国境近く、Udon という何か

コシが強そうな街への切符を購入し、

果たしてタイの治安はいまどうなのか、

と考えた。

 

ここ4日くらいネットをみていない。

いままでいたド田舎は、1泊宿が2ドルと

かなのに、ネットが1時間6ドルとか

意味の分からない価格設定が多かった

からだ。

 

しかし、事前にホセが教えてくれたとおり、

ここではネットが安い。1時間0.7ドル。

 

メールをチェックすると、母親からメールが

きていた。

病巣の疑いがあるという父親の検査結果は

まだ数日わからないらしい。

父親は楽観視しているようだが、逆にそれが

怖い気がした。

 

ミクシィで、タイのニュースを扱っていた

のでみてみると、12月3日、つまり

昨日、デモ隊か何かに占拠されていた

空港は解放されて、あと数日で元通りと

なるようだった。

 

不謹慎極まりないが、非常事態中の

国に向かうという男のしょうもないロマン

的なものをダメにされた気がして

ちょっとがっかりしたが、

しかし考えてみれば、

カンボジアシェリムアップでこのまま

タイに行こうかと考えていた時に

タイ国際空港が遮断されたため、

とりあえずラオスを先に行くか、と

ラオスに行くこととし、

ラオスでタイに向かおうとする前日に

その空港が復帰するというニュースを

みるのも、何か旅の神というか、

何かの思し召しのようなものを

感じなくもない。

 

100%思い込みにすぎないが、

思い込みもすぎれば、現実となる、

こともある、と思っている。

 

 

 

過去の見切り発車 海外放浪 1人旅 118 ラオス編 《出会いと別れの繰り返し》

 

 

 

パクセーは都会だった。いや、都会に感じた。

何しろ、これまでホントに何もない島々を

渡ってきた僕には、バスが到着するやいなや

バイタクの群れができ、信号が変わるや

いなやバイタクの群れが砂埃をあげながら

一斉にスタートするこの街は、

もう充分に都会だった。

 

バスで一緒だった、端正な顔立ちの

ベルギー男性が、川はどっちだろう、と

僕に聞く。

こっちらしいよ、とさっき現地の女の子

に聞いた僕はこたえる。

 

一緒に川沿いを目指すかい、とベルギー人

に聞かれ、おや、君は観光客嫌いじゃ

なかったっけ。。。と思ったが一緒に

歩くことにする。

 

あるいは、僕は観光客という

くくりに入らないのだろうか??

 

だが、川にはついたものの、対岸への

橋が一本見えるだけで、あとは高級そうな

ホテルがあるだけだ。

 

ここはどこなんだろう、街の中心はどっち

だろう、と思っていると、ベルギー人が

おもむろに、ロンリープラネットをとりだす。

 

またでた!ロンリー!

 

だが、地図を見ても、ここがどこなのか

わからない。仕方なく、バイタクらしき

おじさんに聞いてみると、中心地は

2kmくらい先らしい。

 

さすがにバックパックを背負っての2km

はきついので、サイドカーのついている

最新式(笑)バイタクに

ベルギー人とのることとした。

 

町の中心らしきところにつくと、

バイタク代をベルギー人と5000キップ

ずつ割り勘する。

 

僕はなぜか、決して悪い人ではなさそうな

このベルギー人と一緒に宿探しをする気が

おきなくて、インターネットカフェ

値段を聞いたりしていた。

 

ベルギー人は何度かこちらを振り返ったが

やがて諦めたらしく、細い路地を

入っていった。

 

僕はメインストリートらしき道沿いのホテル

をあたってみたが、15ドル、12ドルと

とんでもない値段。

いや、別にとんでもなくはないのだが、

いままでは2ドルとか3ドルの宿で

過ごしてきたからそう思えるのだ。

 

僕はこの先50m、という看板をみつけ、

ベルギー人がさっき入っていた小道を

歩いてみる。すると、ベルギー人が

こっちに戻ってきた。

 

いくらだった、と聞いてみると、6ドル

だった。高くて手がでないよ、と

ベルギー人はいう。

僕はそうか、とうなずいた。

 

たかだか600円前後で何をいっている

んだ、と思われるかもしれないが、

無職で長期旅行をしていると、

宿代は本当に馬鹿にならない。

 

仮に、

1日500円高い宿に毎日泊れば、

月に15000円のプラスとなり、

1年旅するとなると18万円違う。

 

長期旅行者は

みな、旅をしながらお金が入って

くるわけではないので、どうしても

かかってしまう宿と食事は、できる

かぎり節約したいのだ。

 

僕は、自分が聞いてきた宿は12ドルとか

だったよ、と返事をしながら、6ドルなら

まあ仕方ないかな、と考えた。

 

すると、ベルギー人が、よかったら

ルームシェアをしないか、と提案してきた。

 

これには、僕はびっくりした。

観光客の多いところは嫌だ、といって

Dondetという観光地は避けてきたほどの

男が、ルームシェアをしたいとは。

 

僕は少し考えて、

I am sorry, I prefer single

(ごめん、オレはシングルがいいんだ)

とこたえた。

 

すると、ベルギー人は人懐っこい笑みを

浮かべて、

いや、いいんだ。

といって、行ってしまった。

 

ベルギー人の後姿を目で追いながら、

僕は、ちょっと悪いことをしたかな、と

思ったが、もう遅い。

 

僕が1人部屋にしたかったのは、貴重品の

心配をしながら寝るのが嫌だったからだ。

もちろん、さっきのひとのよさそうな

ベルギー人が盗みをするなんて、

ほとんどありそうもないことなのだが、

何しろまだ知り合って数時間くらいの

ヒトだ。

盗まれることはないんだろうけれど、

神経質な自分は可能性があるだけで、

ストレスになってしまう。

 

とはいえ、

もしかしたら、僕はいい旅の思い出を作る

チャンスを、逃してしまったのかも、

とも思いつつ、

また、自分は人と深く付き合うことに

疲れをおぼえてきているのかもしれない、

とも思う。

 

どこからきた、

どこへ行く、

どこへ行った、

これからどうする。。。

 

明日には別れてしまう相手に対しての、

何千回と繰り返してきたそのやりとりが

億劫になりつつあった。

 

旅自体に、僕は疲れてきてしまっているの

かもしれないな、と思いつつ、

6ドルという宿へ向かって僕は歩き出した。

 

 

 

過去の見切り発車 海外放浪 1人旅 117 ラオス編 《パクセーへ向かう》

 

 

翌朝、6時に目が覚めて、ホテルの

レストランに行く。

 

すでに起きている早起き外人がいて、

湖畔をどこか物憂げにみつめている。

 

太陽は今まさにのぼらんとしていて、

僕はその景色に息をのむ。

 

 

 

メコン川の朝焼けと夕焼けは、いつみても

まるで初めて朝日をみたかのような

感動を僕に与えてくれる。

 

パンケーキとコーヒーを口にしながら

時計を見ると6時50分。

ホテルのオーナーは、昨夜、

30分おきにバスがとおるから、

そのタイミングで乗ればいい、と

適当な感じでいっていた。

 

まあ、くるときはくるさ、と読書を

しようとすると、バスがやってきた。

 

僕がパクセー?と聞くと、

YES!とくる。

ハウマッチ?と聞くと、

セブンティー!とくる。

 

70?!ドルにして9ドル。

高すぎる。

ラオスにしては)

 

オーナーは確か25といっていた。

まさか外人とみて、ぼろうとして

いるのか。

この次のバスを念のため待ってみる

か。。。

と考えていると、荷台に乗っている女性

が、やはり70といっている。

既に乗っている乗客がそういうのだから、

そんなもんなのかな。。。

 

たかだか千円くらいで次のバスを待つのも

面倒なので、僕は乗り込むことにした。

 

ホセに別れの挨拶もせずに旅立つのは

心残りだったが、彼はこの何もない島に

恐らく数日過ごすようなことを言って

いたし、自分の都合で朝早く起こすのも

忍びないので仕方ない。

さすがにもうばったり会うことはない

だろうな、と僕は思い、

いい旅を、と心の中で呟いた。

 

路上では橙色の僧衣を身にまとった

坊さんが三人くらい歩いている。

手には、何やら銀色の容器を持っていて、

路上のご飯売りからご飯をもらっていた。

僧には10歳くらいの子供も混じって

いた。

 

10歳から僧。。。

 

自分には想像もできないような人生

なんだろうな。。。

 

途中、乗車賃を払え、と言われたので、

僕は10ドルを渡し、釣りを返せ、と

いうと、ドライバーは渋い顔をして、

両替をしに行った。

ラオスカンボジアでは、自国通貨

と米ドルが両方使える)

 

乗客のコが、僕の財布をみて、

20あるじゃないの、と言われたので、

いや20はあるけど、70には足りない

んだ、と答える。

 

両替してもらった紙幣から、

そのコが5000キープを4枚とり、

ほら、これでいいのよ、と僕の代わりに

払ってくれる。

あれ、70じゃなくて20なの?

とその少女に聞くと、

そうそう、発音が悪くてごめんね、

と少女は、はにかんだ。

 

いやいや、むしろありがとう、と

僕は答えながら、ドライバーも確かに

70と言っていた気がしたから、

韓国人が濁音が苦手なように、

ラオスの人は特定の発音が

苦手なのかもしれない、と思った。

 

トラックの後ろに荷台をつけただけの、

ラオスでよくみる車の座席に

寄りかかりながら、観光客が多いところは

嫌いだ、という青い瞳のこれ以上ない

くらい均整の取れた顔立ちのベルギー人

男性と、これからパクセーに英語を勉強

しに行くという少女と雑談をしながら、

今、この瞬間、僕は自分が旅を楽しんで

いることを実感する。

 

どういうことだろう。

 

中国、ベトナムではホームシックに

なったわけではないが、かといって

心の底から旅を楽しんでいたか、と

いうと、正直よくわからない。

 

勢い込んで日本を飛び出したのだから、

ベトナムくらい横断しないとな、

というわけのわからない義務感の

ようなものもあった気がするし、

どこで旅を終えるにしろ、終える頃に

は、もうおなか一杯、胸いっぱいで

もうしばらく旅はいいや、

となるだろう、と思っていた。

 

しかしどうだ、まるでかかりの悪い

エンジンがようやくあったまってきた

かのように、旅は楽しくなってきて

いて、その思いは中国、ベトナム

カンボジアラオスと次第に強く

なってる気がする。

 

あるいは、ラオスの人の暖かさが、

僕にそう思わせてくれているのかも、

しれなかった。

 

それにしても、自分はあと、どれくらい

旅を続けるのだろう。。。

 

あと1カ月旅をするにしても、

それはとてつもなく先のことのようにすら

思え、僕は荷台に揺られながら、

これからの旅に思いをはせていた。。。