人生見切り発車

永遠にみつからない自分探しの旅(仮)

過去の見切り発車 海外放浪 一人旅 1《旅立ち》

 

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上空からの写真(その時撮った写真がなかったため、イメージです)


絹のベールのような薄い雲の真下に、海につながっているのだろう川が、大地とのコントラストでナスカの地上絵のように見える。

 

羽田空港から離陸して、まだ30分くらいだから、まだ静岡の上空あたりだろうか。

僕は、痛いくらいの真っ青な青空の中を、飛んでいる。

 

今回の旅で、最初の目的地、いわゆるスタート地点を中国の広州にしたのは、

貯まったマイレージで行ける距離だから、という理由ももちろんあったが、

それだけではない。

 

僕が1か月ほど前まで機械系商社で働いていた時、毎月、多いときはそれこそ

毎週のように訪れていたのが広州だった。

広州から内陸の方へ車で数時間走ったところに、いわゆる工業地帯があって、

取引先であるシュレッダーの製造会社があって、そこによく出張していたのだ。

 

その出張先では、毎晩のように浴びるように酒を飲まされていたな、

と僕は思う。

なにしろ、夜の宴会の席となると、

僕一人に対して、工場長、営業担当、その上司、QC担当

(こいつはほとんどQC=Quality Control 担当という肩書だけで

憎めないやつではあったが、何も品質管理できてない兄ちゃんだった)

、Tシャツ姿で生産ラインにてネジを締めるだけの中学生みたいな工員に

至るまでやってきて、

ひとりひとりから「乾杯!」とせがまれるからだ。

(知っている人も多いと思うが、乾杯は杯を乾かす=飲み干すのが中国の

常識だ。もちろん無理に飲む必要はないが、そこで勢いよくいろんな人と

「乾杯」をすることで、仲良くなれるのが中国という社会だった)

 

つい最近の話が、サラリーマンを辞めたせいかずいぶん前のことのように思える。

こうやって人は、年をとっていくのかもしれない、なんて思う。

 

その出張で頻繁に訪れていた広州から旅をスタートさせることが、

今までの自分との決別になるような気がした。

だが、決別などと格好のいいことをいっていても、

これから始めようとするあてのない放浪の旅も、人生と同じで、

いつかは終わる。

そして、その旅を終えたあと、僕は何をするのだろうか。

何も決まっていない。

 

出発前に、半年近くかけて書き上げた小説を、とある新人賞に送った。

夢を追っているとは、もはやいえない。

夢も自信も、これまで何作か送った選考の結果が跡形もなく粉々にしてくれた。

ただ単に、自分はまだあきらめていない、と自分自身にいいわけをするために、

出発前に書き上げて応募したにすぎないんだ、きっと。

いつもどおり、一次選考にすらひっかからないだろう。

 

今朝、まだ外が明るくなりきっていないくらいの早朝に、

母親が自宅マンションのエレベーター前まで、見送ってくれた。

エレベーターのドアが目の前で閉まった瞬間、

思わず涙ぐんでしまう自分自身がいた。

 

僕はエレベーターのドアが閉まる最後の瞬間まで、暖かいまなざしで

僕を見送ってくれていただろう母親に対して、目をそらしてしまっていた。

 

あの瞬間の、自分の中でおきた、心の底から、

湧き上がるような感情は、いったいなんだったのか。

 

年老いた両親をおいて、目的もはっきりしない旅に行くことへの

後悔か。

 

決して安全とはいえないだろう東南アジアに行くことで、

最悪は今生の別れになってしまうかもしれないという恐れか。

 

それとも、

と僕は自分に問いかける。

 

30歳を目の前にして、やりたいことも見つからず、

小説家という蜃気楼のようなおぼろげな夢を追いながら、

人生という巨大な壁に対して、

立往生してしまっている自分にたいしての、

いきどおり、やるせなさなのだろうか。

 

《to be continued...》