人生見切り発車

永遠にみつからない自分探しの旅(仮)

過去の見切り発車 海外放浪 一人旅 12《中国最後の夜》

 

 

 

 

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パレード


段々畑ツアーを終え、ホテルに戻った。

とはいっても、当然のことながら何かやることが

あるわけでもない。

基本的に街をぶらつくか、読書をするか、

どちらしかない根無し草な自分。

 

少し、自分が疲れているのを感じていた。

旅に飽きたのか、一人でいることに飽きたのか。

毎日満員電車で揺られて、朝から晩まで働いている

頃は、あてのない旅に出たい、といつも思っていた。

 

だが、サラリーマンにとって休日は、平日に

仕事があるから貴重なわけであって、

無制限一本勝負みたいな、仕事なし無期限休暇を

いざとってみると、すぐに時間をもてあましてしまう。

 

きっと、定年を迎えた多くのサラリーマンも似たような

感覚を味わっているのかもしれない。

ちなみに、定年を迎えたら何がしたいか、という問いに対し、

「仕事がしたい」

と答えるのは日本人だけらしい。

 

このぶんだと、早く日本に帰るかもな、と僕は思う。

だが、1か月は行くと、おおみえをきって出てきた

せいもあり、さすがに数週間じゃ帰れない。

だが、そんな考えも変な話だ。

僕は見栄をきってきた相手のために、

旅をしているわけではない。

 

だいたい、帰って何をするというのか。

また仕事をみつけ、会社の歯車になって、死ぬまで

働くのだろうか?自分はそれに耐えられるのだろうか?

まだスタートラインにすら立っていないのに、

小説家になんて、本当になれるのだろうか。。。

 

かけらに過ぎないくらいかもしれないが、

中国を旅し、日本では見られないような貧しい人々を

目にしてきた。

貧しい人からしてみたら、生活の糧はいくらでもあるのに、

将来何をしたらいいか、なんて贅沢極まりない悩みだろう。

事実、そのとおりではあるし、反論の余地はない。

 

だが、選択肢があるから人は悩む。

その選択肢の中に、自分のやりたいことがないならば、

それは至上の苦しみといえるのではないか。

選択肢がひとつしかなければ、逆にそれをするしかないから、

ある意味では悩む必要などないのである。

 

とにかく、昔っから僕は、やりたいことはやるけど、

やりたくないことを続けるのが苦手な、

我儘で自分勝手な社会不適合者だった。

それが人生さ、と悟って、やりたくない仕事を続けながら、

その中に人生の喜びを見出していくことが、どうしてもできない。

 

でも、この旅は、自分探しではない。

海外に行けば本当の自分がみつかる、などという幻想が

抱けるのはせいぜい二十歳前後までが限界だろう。

そんなわかったような顔をしながら、その実、僕は

いつだって見つかるはずのない自分を探しているにきづく。

わかっているはずなのに。

 

海外に行こうが、何をしようが、

自分は自分で、

どうしようもなく、

自分なのだ。

 

ひょっとしたら、現実逃避をしている気分の自分は、

生身のツアーに参加することで、

現実という塊が、視界のどこかでちらつき始めた

のかもしれない。

 

僕の中国滞在最後の日に、また会いましょうと

約束していた僕は、玉さんに電話した。

僕と玉さん、そしてマックで一緒にシェイクを飲んだ

モウさんの3人で、夕食を食べ、街を歩く。

 

南寧の街は、すごい熱気で、さとうきび、串焼き、果物、

T シャツ、コップ、花にいたるまであらゆるものが

市場でひしめきあっている。

玉さん曰く、この界隈は、毎日こんな感じらしい。

熱気で視界が曇りそうな、すさまじさ。

 

三人でわけもなく歩いているだけで、

僕は孤独が和らいでいくのを感じる。

 

いつもそうだ。

普段は一匹オオカミをきどって群れるのを嫌うくせに、

いざ一人になると孤独を感じて、人の触れ合いが

恋しくなる。

 

ひょっとして、ひとりを好む人ほど、実は

さみしがり屋が多いのかもしれない。

 

また会いましょう、といって、二人と別れた。

僕が乗った籠付きのバイクタクシーが見えなくなる

まで、二人は手を振ってくれていた。

 

これからこの旅の中で、なんど

「また会いましょう」

という言葉を口にすることになるだろう、と

僕は思った。

 

あてのない旅の中で、出会い、そして

また会えることになる人は、ほとんどいない。

 

二人とも、本当にいいひとだった。

中国でそんな人に会えたことが、中国での旅の

ハイライトに違いない。

 

明日、僕はベトナムへ向かう。