人生見切り発車

永遠にみつからない自分探しの旅(仮)

過去の見切り発車 海外放浪 一人旅 4 中国編 《両手のない少女》

 

 

 

 

f:id:jinsei-mikiri-hassya:20211002125749j:plain

見切り発車、物乞いについて考えるの巻


駅の待合室で、僕は南宁行の電車を待っていた。

読んでいた小説からふと顔をあげると、視線の先に特異な姿の、

少女の姿があった。

 

半袖のオレンジのストライプのTシャツ、ジーンズの半ズボンを

身にまとった13歳くらいの少女。肩からは、ナイキのロゴが

入ったショルダーバックを下げている。

 

少女に、両腕はなかった。

 

少女は、待合室に座っている人、1人1人の前に、何もいわずに

立ち止まる行為を繰り返していた。

 

物乞いになるために、もっと幼いころに両腕を切り落とされた

のだろうか、と僕は想像した。

中国ではわからないが、タイではよくある話だ。

体のどこかが欠損している子供は、いやでも同情を集めやすい、

つまり物乞いとして、お金をもらいやすい。

 

少女の手があったはずの部分は、

まるでミロのビーナスのように、切断面はきれいで、

まるでもともとそこに腕など存在していなかったかのようだった。

(少女はミロのビーナスと違い、肩までしかなかったが。。。)

 

待合室にいる人の多くが、邪険にせず、いくらかのお金を

少女のバックに入れていく。

身なりの貧しい人も含めて、入れていく。

 

僕は、寄付をしてはいけない、と思った。

 

金がどうこうの問題じゃない。寄付という行為が、

このような物乞いを助長させるのだ。

 

両手のない物乞いが金を集められると分かれば、

また新たに醜い大人によって、

両手のない子供の物乞いはつくられてしまうかもしれない。

 

それに、金がどうこうの問題でもないと思ったが、

現実問題この先数えきれないくらいの物乞いと遭遇するだろう。

そのたびに寄付をするわけにはいかないし、

どの物乞いなら寄付をされるべきなのか、そうでないのかは

僕にはわからない。

 

少女が僕の隣に座っている初老の痩せた男性の前に立った。

その男性は、ためらいもせずにポケットの小銭を差し出した。

 

そして、少女は僕の前に立った。何を言うわけでもなく、

何をするわけでもなく、僕の前に立っていた。

僕は下を向き、うつむいた。

まともにみれなかった。

だが、少女はしばらく動かなかった。

時間を持て余しているかのようでもあった。

 

僕の中に、津波のような感情がわきだつ。

自分は、屁理屈にこだわっているだけの、卑小な人間ではないか。

現に、この少女は肩から下がなく、生活に貧しているではないか。

 

僕が顔を上げると、少女は横を向いていた。

僕からはお金がもらえないと算段し、次の人に移ろうと

しているように見えた。

 

僕は5元札を取り出し、少女のバックに入れた。

少女は明るい笑顔をみせ、シェーシェー(ありがとう)

といった。

 

少女の後姿を視線の先で追いながら、僕は思いを巡らす。

僕の寄付が物乞いを助長させるものだとしても、

現に少女は腕がない。

助長しようがしまいが、少女は既に腕を失っているのだ。

 

僕は自分がした行為の、善悪について考えた。

正しくない、と他人にいわれたら、そうかもしれない、

とも思う。

だが少女が自分の前に立った時、心が動いてしまった。

 

自分は色々と、ナイーブすぎるのかもしれない。

僕が寄付をしようがしまいが、どんなに少女の不幸を

嘆き悲しもうが、世の中が変わるわけではない。

独りよがりもいいとこだ。

 

旅に出るということは、楽しいことばかりではなく、

こういうこともあるんだな、と場違いに思った。