人生見切り発車

永遠にみつからない自分探しの旅(仮)

過去の見切り発車 海外放浪 1人旅 117 ラオス編 《パクセーへ向かう》

 

 

翌朝、6時に目が覚めて、ホテルの

レストランに行く。

 

すでに起きている早起き外人がいて、

湖畔をどこか物憂げにみつめている。

 

太陽は今まさにのぼらんとしていて、

僕はその景色に息をのむ。

 

 

 

メコン川の朝焼けと夕焼けは、いつみても

まるで初めて朝日をみたかのような

感動を僕に与えてくれる。

 

パンケーキとコーヒーを口にしながら

時計を見ると6時50分。

ホテルのオーナーは、昨夜、

30分おきにバスがとおるから、

そのタイミングで乗ればいい、と

適当な感じでいっていた。

 

まあ、くるときはくるさ、と読書を

しようとすると、バスがやってきた。

 

僕がパクセー?と聞くと、

YES!とくる。

ハウマッチ?と聞くと、

セブンティー!とくる。

 

70?!ドルにして9ドル。

高すぎる。

ラオスにしては)

 

オーナーは確か25といっていた。

まさか外人とみて、ぼろうとして

いるのか。

この次のバスを念のため待ってみる

か。。。

と考えていると、荷台に乗っている女性

が、やはり70といっている。

既に乗っている乗客がそういうのだから、

そんなもんなのかな。。。

 

たかだか千円くらいで次のバスを待つのも

面倒なので、僕は乗り込むことにした。

 

ホセに別れの挨拶もせずに旅立つのは

心残りだったが、彼はこの何もない島に

恐らく数日過ごすようなことを言って

いたし、自分の都合で朝早く起こすのも

忍びないので仕方ない。

さすがにもうばったり会うことはない

だろうな、と僕は思い、

いい旅を、と心の中で呟いた。

 

路上では橙色の僧衣を身にまとった

坊さんが三人くらい歩いている。

手には、何やら銀色の容器を持っていて、

路上のご飯売りからご飯をもらっていた。

僧には10歳くらいの子供も混じって

いた。

 

10歳から僧。。。

 

自分には想像もできないような人生

なんだろうな。。。

 

途中、乗車賃を払え、と言われたので、

僕は10ドルを渡し、釣りを返せ、と

いうと、ドライバーは渋い顔をして、

両替をしに行った。

ラオスカンボジアでは、自国通貨

と米ドルが両方使える)

 

乗客のコが、僕の財布をみて、

20あるじゃないの、と言われたので、

いや20はあるけど、70には足りない

んだ、と答える。

 

両替してもらった紙幣から、

そのコが5000キープを4枚とり、

ほら、これでいいのよ、と僕の代わりに

払ってくれる。

あれ、70じゃなくて20なの?

とその少女に聞くと、

そうそう、発音が悪くてごめんね、

と少女は、はにかんだ。

 

いやいや、むしろありがとう、と

僕は答えながら、ドライバーも確かに

70と言っていた気がしたから、

韓国人が濁音が苦手なように、

ラオスの人は特定の発音が

苦手なのかもしれない、と思った。

 

トラックの後ろに荷台をつけただけの、

ラオスでよくみる車の座席に

寄りかかりながら、観光客が多いところは

嫌いだ、という青い瞳のこれ以上ない

くらい均整の取れた顔立ちのベルギー人

男性と、これからパクセーに英語を勉強

しに行くという少女と雑談をしながら、

今、この瞬間、僕は自分が旅を楽しんで

いることを実感する。

 

どういうことだろう。

 

中国、ベトナムではホームシックに

なったわけではないが、かといって

心の底から旅を楽しんでいたか、と

いうと、正直よくわからない。

 

勢い込んで日本を飛び出したのだから、

ベトナムくらい横断しないとな、

というわけのわからない義務感の

ようなものもあった気がするし、

どこで旅を終えるにしろ、終える頃に

は、もうおなか一杯、胸いっぱいで

もうしばらく旅はいいや、

となるだろう、と思っていた。

 

しかしどうだ、まるでかかりの悪い

エンジンがようやくあったまってきた

かのように、旅は楽しくなってきて

いて、その思いは中国、ベトナム

カンボジアラオスと次第に強く

なってる気がする。

 

あるいは、ラオスの人の暖かさが、

僕にそう思わせてくれているのかも、

しれなかった。

 

それにしても、自分はあと、どれくらい

旅を続けるのだろう。。。

 

あと1カ月旅をするにしても、

それはとてつもなく先のことのようにすら

思え、僕は荷台に揺られながら、

これからの旅に思いをはせていた。。。