人生見切り発車

永遠にみつからない自分探しの旅(仮)

過去の見切り発車 海外放浪 一人旅 中国編 10 《山水桂林》

 

 

 

 

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山水桂林的観光地


ビル クリントンアメリカ大統領も訪れたという

山水桂林は、確かに風光明媚な観光地だった。

大陸のなせうる広大さは、なるほど

中国でなければなかなか味わえない。

 

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山水桂林的絶景

 

しかし、なぜか自分の中で、心が満たしきれない

というか、変な気分だった。

楽しむべき時にどこか楽しみ切れない、自分がいる。

この思いは、ツアーが進むにつれ、強くなっていった。

恋人、夫婦、家族が中心の観光客に紛れて自分の

孤独を再認識したのかもしれない。

遊園地に一人できている気分、といえば

近いだろうか。

 

喜びは、一人では味わいきれないものなのだろうか。

確かに、地の果てまで続くかのような壮大な景色も、

味わいきれないほどの豪華な食事も、旅の思いがけない

ハプニングも、一人では楽しみきれないのかもしれない。

 

あるいは、ただツアーガイドについていくだけの

旅路に刺激を感じないのか。

そうだとしたら、僕は旅に何を求めているのだろうか。。。

 

シャングリアという場所の船上で、民族の踊りが

披露されていた。とはいえ、本当の民族出身の人たちと

は思えず、まるでサーカスか見世物小屋のだしもの

のように感じた。

いや、それでもいいではないか、と僕は思いなおす。

観る人がいて、それが商売となり、生活の糧に

なるのであれば、誰が咎めることなどできるだろう。

 

ツアーガイドが、今日初めて、近くに住んでいる

母親がこのツアーに参加しているのだ、と僕に打ち明けた。

なんで近くに住んでいるのに、初めてなの、と聞くと、

値段が高すぎるから、という返事がかえってきた。

確かに、船に乗っている人はほとんどが外国人

のようだった。440元は決して安くはない。

そういえば、内陸の方では、年収1000元前後も

珍しくないとどこかで耳にした記憶がある。

 

その夜、宿に着いたのは夕方6時を過ぎたころだった。

一人で旅をする者にとって、夜は長い。

意味もなく、宿の周りをぶらぶらと歩いた。

 

 

 

 

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山水桂林的街

 

観光地らしく、色とりどりの街灯が、街を彩っている。

日本でいう金閣銀閣のような塔が、イルミネーション

で輝き、昼間とは違う顔を見せていた。

 

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昼の顔

 

 

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夜の顔

交通量の多い交差点で、長い棒の切れ端を片手に、

うずくまっている老人がいた。

足元の大きな紙が、数えきれないほどの

漢字で埋め尽くされていた。

 

 

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路上でうずくまる老人

僕がその紙に興味があって、少し離れて写真を撮ろうとすると、

老人は不意に立ち上がり、棒を地面にたたきつけて

僕に対して何かを叫んだ。

見世物じゃない、とでもいっているのだろうか。

しかしながら、襲ってくるような雰囲気でもない。

怒号をあげながらも、僕との一定の距離を保っている

かのようだ。

逆にこちらが襲うとでも思っているのか。

あるいは、襲われたことでもあるのだろうか。。。

僕が申し訳なさもあって、2元を老人の足元の小皿にいれると、

老人は手のひらを返すように、にっこりと笑って、

シェーシェー(ありがとう)といった。

 

この老人も、生きるのに必死なのだ、と僕は思った。

僕はいい年こいて、

旅という名の道楽遊びなんかしてていいのだろうか。。。