過去の見切り発車 海外放浪 1人旅 68 ベトナム編《チャイドック イスラムの村》
チャイドックのPIER(桟橋)から
カンボジアに向けて、小型のボートに
乗せられた。
どこに行くんだろうと、疑問が頭を
もたげだした頃、対岸のホテルで降ろされた。
そしてまた、案内されるがままに、また
ボートに乗る。
さっぱりどこに
むかっているか
わからない。。。
さすがにやばいな、と思い、船にいる白人
観光客にこの船はカンボジアに行くのか、
と聞いてみたら、彼は行く行く、と
笑顔でうけおってくれた。
では今乗っているこのボートはなんなんだろう、
と聞いてみると、カンボジアに到着する前の
ツアーだという。
よくわからないが、僕はタダで参加できる
らしい。
気がついたら自分が
ツアーに参加してる
最中って。。。
まず日本では味わえない体験だ。
(あたりまえか。。。)
イスラム教徒が住むという村に行く。
女性が、反物なのか、布を織っている。
この村では結婚すると、男は漁に出て、
女は家事をしながら布を織るらしい。
3~5才くらいの子供たちが、
パンケーキかワッフルのようなものを
籠に乗せて、5個で1ドルだよ、
といいながらかけよってくる。
こまかい金がなかったので、
ごめんね、いらない、というと、
嫌な顔をしたり、無視をしたりするでもなく、
OK, Maybe later !
(うん、じゃあまたあとで、
気が向いたら買ってね。。。)
といって笑顔を返してくる。
またあとで、気が向いたら買ってね。。。
Maybe later, か、と僕はつぶやく。
僕は人のあたたかさに触れた気がした。
3~5才の子供がまとわりつくように
お菓子を売っているのを見て、
最初は少しかわいそうな気もしていたのだが、
そうでもないのかな、と、この頃の僕は
考えていた。
みな、玩具をねだる子供のように明るい。
モノを売るのを、まるでゲームみたいに
楽しんでいるようにも見える。
ひょっとしたら、自分の感覚で、先入観で
他人をかわいそうに思うのって、
非常に失礼で自己欺瞞的なのかもしれない。
それに、
子供のころから何もかも与えられている
子供が幸せとは限らない。
子供に一番必要なのは、物質ではなく、
やはり親の愛なのかもしれない。
少なくても、衣食住の不安なく、
自分を育ててくれた両親には感謝をしなければ
ならないな、と思う。
(なら放浪するなよって気もするが。。。)