人生見切り発車

永遠にみつからない自分探しの旅(仮)

過去の見切り発車 海外放浪 1人旅 24 ベトナム編《フエ ギャンブルと心の闇》

 

 

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(画像はイメージです)


フエの古城周辺を歩き終え、時計を見ると、

午後2時だった。

 

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Song Huongという川を渡ったころには、

気がつくと雨はやんでいた。

 

いつの間にか市街地らしきエリアに

入っていたらしく、巨大モニュメントの

ような豪奢なホテルがあった。

 

僕は、そのホテルの前の巨大看板の手前で

足を止めた。

Casino...

カジノ、と書いてある。

ベトナムでは合法なのかどうかも

僕は知らなかったが、五つ星ホテルで

あろうと容易に想像できる建物の中で

営業しているのだから、たぶん

合法なのだろう。

 

カジノ、という単語を目にした瞬間、

まるでスイッチが入ったかのように、

自分の心の芯の部分が、熱をおびて

くるのを感じた。

 

そう、僕はギャンブル中毒者だった。

はっきりいって病気といっていい。

そして、そんな自分を誇れるとは

当然思っていない。

 

オーストラリアでワーキングホリデー

をしていたころは、4カ月の滞在中に

日本円で100万はすったし、

サラリーマン時代には、夏休みに

ラスベガス、マカオシンガポール

カジノに行きまくった。

 

ドイツに出張中には、夜中1人抜け出し

てカジノに行き、徹夜でルーレットに

明け暮れ、翌朝の空港の搭乗ゲート前の

椅子で眠りこけ、危うく飛行機を

乗り過ごしそうになったこともある。

(その時、恐らく僕を搭乗者と判断した

らしく、起こしてくれた見知らぬ白人の

青年の優しさは、まだ記憶している)

 

一番勝ったのは、企業研修でアメリカの

地方に住んでいた時に、船上にある

カジノの、バカラというゲームで日本円

にして50万円ほど勝ったときが

マックスだ。

 

だが、所詮、そこは長い目で見れば

胴元が勝つ仕組みのギャンブルで、

50万勝ったのはそのときだけで、

50万負けた時の方がよっぽど多い。

 

正直、この旅をマカオから始めようとすら

思ったが、マカオで旅が終わってしまう

可能性もありそうだから、さすがに断念した。

 

どうして自分が病的なほどカジノに

はまってしまうのか、それは僕自身も

わからない。

どうして1万円、2万円でやめれず、

クレジットカードの限度額までいつも

いってしまうのか、本当にカウンセリング

や治療が必要だと他人事のように思う。

 

恐らく、生来の気質や遺伝が多少なりとも

影響しているのだとは思う。

もちろん、それは僕自身の意志の問題で、

そんなことは言い訳にできないのは

当たり前だ。さっぱりとやめてしまえば

いいのだが。。。

 

だが、廃人のように賭場を行ったり来たり

しながら、身を亡ぼす以外の何物でもない、

ギャンブルをいつまでたってもやめれない

僕の気持ちは、他人にはわからないだろう。

 

開き直っているわけではなく、

そもそも人間は、他人の苦しみや気持ちに

鈍感な生き物だからだ。

 

努力しなくても平時から痩せている人間は、

痩せたいのに痩せれない肥満の人間の

気持ちを心底から理解することはできないし、

煙草を吸ったことのない人間は、

やめたいのに禁煙できない人間の気持ちは

わからない。

 

僕はカジノがあるという、ホテルに入った。

天井がどこまでも続くような、吹き抜けの

広大なロビーだった。

立て看板に、カジノの案内があり、

外国人はパスポートが必須、とかいて

あった。どうやらベトナム在住者も

普通に入れるらしい。

 

しまったな、と僕は思った。

パスポートがない。

 

僕は普段パスポートは持ち歩くのだが、

たまたまその日は泊まっていたホテルに

連泊する予定だったため、ホテルの金庫に

いれておいたのだ。

 

どうせだめだろうとは思ったが、

フロントにパスポートなしでカジノに

いっていいか、と聞いてみると、

フロントの、黒髪をロングでまとめた女性

は、にこやかな笑顔で僕にいった。

 

No Problem

 

さすがベトナム。。。

 

地獄の闇への、あるいは歓喜あふれる天国の、

扉があいた瞬間だった。