人生見切り発車

永遠にみつからない自分探しの旅(仮)

過去の見切り発車 海外放浪 1人旅 90 カンボジア編《シェリムアップ 通訳兼ドライバーとの別れ 》

 

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NGO見学で知り合ったフジタさんの

ホテルに到着した。

 

夕食を食べるから、もう帰っていいよ、

と通訳兼ドライバーさんに20ドルを

わたし、5ドルお釣りをちょうだい、

というと、彼はポケットをまさぐり、

お釣りがない、という。

 

じゃあそのうち返してくれればいいや、

と僕はいった。

むろん、彼とはもう会うことがあるか

どうかもわからないのだが。

 

彼は明日、孤児院に行って日本語を

教えてくるという。

 

授業で使うらしい紙をみせてくれた。

 

そのはカバンです、と子供が書いた

回答に、正解の〇がしてある。

 

その語学力で

教えられるのか。。。?

 

しかし、見上げた男だ。砂埃の中、

1日5時間も運転したからか、

目が充血して真っ赤だ。

 

いつか日本で働くかもしれない、と

彼はいう。

友人に農業をしている人がいるらしい。

 

そういえばどこかで、農業は人手が

足りないから、外国人労働者

うけいれているところもあると聞いた

ことがある。

 

余計なお世話ではあるが、

日本は夢の国ではないかもしれないよ、

とだけいっておいた。

期待がふくらみすぎると、いいことは

ないと思ったからだ。

 

フジタさんと夕食をとることになり、

レストランに向かって歩きながら僕は

不意に思った。

 

よく考えたら、今日あちこちに運転して

もらったりして、その都度、ドライバーの

彼にお金を支払っているのだから、

釣りが全くないはずはない。

 

とすると、お釣りがない、というのは

彼のジェスチャーだったのだろうか、

と僕は暗い気持ちになった。

 

もちろん、彼はヤマトという僕の宿泊先

の隣のホテルに出入りしているのだから、

そこに行けばたぶん返してもらえるだろう。

 

だが、5ドルというお金の問題ではなく、

孤児院でボランティアをしている彼が、

そこまでして5ドルを。。。

と思わずにはいられない。

 

だがそれも、悲しいことではあるが

生活の知恵のようなものかもしれない。

貧しい生活の中、身に着いてしまった

習性なのかもしれない。

 

確かに、僕にはたった5ドルだけれど、

工場の工員は1日1ドルが日給だから、

カンボジアではそれなりの金額ではある。

 

僕が持っているより、彼が持っている方が

5ドルも有効活用されるだろう、

 

そうは思うのだが、やはりどこか

釈然としない気持ちが残った。